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インドネシア田舎暮らし日記

結局、黄金バットはどこから来るのでしょうか。

気が付いたら8月

最近は忙しくブログを書く時間がなかなか取れない。

まあ、それはそれで良いんじゃないか、と思っていたわけだが、ブログを書き始めた当初の目的が手帳代わりに使うということだったので、やはり簡単にその日のことを記していくのが良いのだろう。

去年の日記見直すと、大半ご飯について書いてるだけだしね。

また、1日のスケジュールにブログに飯を記載する時間を組み込もう、そうしよう。

 

 

 

最近は仕事の知識ばかり増えていく。

もちろん悪いことではないのだが、この歳になると自分の脳のキャパの限界をなんとなく感じていて、それはもちろん時間的な制約を踏まえた上でのキャパなわけで、要するに、残された人生、あとどれくらいあるか分からない時間、それらを考えると、仕事の知識よりも、もっともっと学びたいこととかがあって、それをあくまでも仕事の知識を優先した残りの時間でしか学べないことにもどかしさを感じている。

 

仕事の知識が、それらの事柄に結び付くこともあるだろう。目の前のこと一生懸命やってりゃ道が拓けるなんて考えもある。

でも、もう自分に残っている時間があまりないわけで、要するに回りくどい。

こんな書き方すると、余命数ヶ月の重い病気にでもかかっているみたいだが、決してそんなことはなくて、今日も元気だ、ご飯が美味い!である。(ああ、これはどこで見かけたセリフだろう)

 

だけども、いつかいつかと言っていて、結局はその人が持っている『ソレ』を達成できずに死んじゃった人はたくさんいるだろうし、現在進行形で悩んでいる人がそれほどごまんといるはずなのだ。

 

忙しさは、そういうことを考える時間さえも奪っていく。脳の奥底とかに閉じ込めてしまう。

そして、忙しさから解放されて、少し考える時間ができたときには、すでに手遅れであったりするわけだ。

 

とかなんとか言ってても、まあなかなか仕事を辞めることはできないわけで。

まあ、それに仕事を辞めるってのも極端すぎるわけだし、限られた時間をもう少し有効に使えることもあるだろう。

 

あーあ。とにかく、どっち転ぶにしても覚悟を決めないといけないのだ。その覚悟を外部からの刺激で決めるのは良くない。自分で決断しないと。

自分で決断して、その方向に持っていかないとあかん。何か起こって、それに合わせて自分が動くんだと、やっぱり遅いだろうし。

まあ今の状態だと、例えば結婚して、嫁さんと子どもがいて、郊外にマイホームを買って、なんていう世間一般的な幸せも、自分のやりたいことを貫くっていう個人的な幸せもすべて綺麗に逃して、それこそ『二兎を追う者は一兎をも得ず』になりかねない。

いや、違うか。今の俺は一兎すらも追ってないのか。まいったまいった。

 

ただ毛利元就の話として、こんな話がある。

家臣と一緒に厳島神社かなんかにお参りにいって、家臣に何を祈ったのか尋ねたとき、家臣は元就が安芸の国を治められますように祈ったと答えたので、その家臣をしかったらしい。

要するに元就は、それこそ天下を治めることを目標にしなければ、安芸の国すらも治められないのだから、望みは高く持つべきだという考えだったらしい。

まあ二兎を追うというよりは、大物を狙わなければ小物すらも捕らえられないという感じかもしれないので、二兎を追うとは少し違うかもしれないけれど、まあ二兎を追わなければ一兎すらも獲得できないという考えもあるのだろう。

 

しかし、さらにさらに言えば、俺は二兎を追うというよりは、ウサギとキジとか、もっと言えば、ウサギとカツオとか、要するに全然違うものを追い求めている気もするから、そうなるとやっぱりウサギとカツオだと捕らえ方は全然違うわけで、やっぱり片方に絞らなければならないのかもしれない。

まさかウサギを撃つための猟銃を携えて、カツオ漁に行くわけにはいかないからね。

 

うーん、蛇足な気もするが、初めからまとまっていなかったから、大きな問題ではない。

 

そんなわけで基本的には簡単な記事を書きつつ、また時間を見つけて、言いたいこと少しずつ書いていければいいなあと思っております。